【北摂パブリック紀行 Vol.19】思い出の家に歌が流れる“讃美歌をうたう会”


市民がつくった“みんなが集まれる素敵な場所”を訪ね、人ともに紹介する北摂パブリック紀行。今月は、閑静な住宅地に人々が集まって歌いながら交流している「讃美歌をうたう会」です。

■不思議な「賛美歌をうたう会」

「賛美歌を歌いに来ないかって誘われてるけど、一緒にいかない?」と友人に誘われ、運転手のつもりで出かけました。箕面市役所前を西に行った桜ヶ丘の閑静な住宅地、主催者・田中滋子(たなかしげこ)さんの家に到着。中に入ると、女性を中心に約10名が集まっていました。

夫と暮らした思い出の家と田中滋子さん

 

「そろそろ始めましょうか」滋子さんの発声で「賛美歌をうたう会」が始まりました。最初に滋子さんがまとめた賛美歌の由来(作詞・作曲者、いつ頃日本に伝わり、親しまれてきたかなど)の紹介があり、そのあと楽譜を見ながら、キーボードやHymn Player(賛美歌のカラオケのようなもの)にあわせて歌います。ほとんどは斉唱ですが、ときどき二部や三部合唱にもなります。参加メンバーの中に元音楽教師やプロの声楽家もいて、楽譜の初見でキーボードを弾いたり、歌ったりできるのです。しかし大半は普通の人です。

キーボードにあわせて歌います

キーボードとHymn Player

 

この日は、「みどりもふかき」「山路こえて」「山べにむかいて」「造られたものは」「神ともにいまして」「主よ、みもとに」の6曲でした。最後の2曲は、この集まりに来ていて最近急逝された女性を偲んでの選曲でした。

賛美歌をうたう会の案内パンフと楽譜

 

滋子さんはクリスチャンの家庭に育ち、戦時中の学生時代から今日に至るまで賛美歌に親しんできました。数年前にアメリカから帰国した牧師を自宅に招いて集会を開いたことがきっかけで、賛美歌をもっと歌いたいと思うようになりました。近所の人や友人・知人に声をかけ、2015年8月に「賛美歌をうたう会」がスタートしました。

「毎月1回ですか?」と尋ねると、「いえ、3~4回やるのよ」と滋子さん。用意された書き込み式のカレンダーの中に、それぞれ「来られる日」に名前を記入。これによって翌月の開催日が決まるそうです。かなりアバウトなやり方!思わず笑ってしまいましたが、長続きの秘訣かも知れません。

名前が書き込まれたカレンダー

 

12時になったので閉会・・と思ったら、赤飯や漬け物、菓子が運ばれてきました。ここからが二次会、みんなでおしゃべりしながらいただきます。赤飯は滋子さん作、漬け物や菓子は参加者の持ち寄りだとか。

「みなさんお近くですか?」と尋ねると、池田や西宮から来られた方も。中には、「先月旅行先で田中さんと知り合って来ました」という人もいました。参加者の多くはクリスチャンではありません。「ラジオで聴いた賛美歌がきれいだったから」「ここは緑があってきれいだから」「みなさんとのおしゃべりが楽しいから」が参加の動機のようです。

午後1時過ぎ、参加者のみなさんは三々五々帰路につきます。“自宅で賛美歌をうたう”という不思議な集まりを経験した私たちも、どこか心洗われたさわやかな気分になって田中邸を後にしました。

■田中滋子さんのこと

帰宅してから妙に滋子さんのことが気になり、後日改めて訪問して話を伺いました。私の質問にてきぱきと応えてくださる滋子さんが90歳と聞いてまずビックリしました。

田中滋子さん

 

滋子さんは、繊維関係のメーカーで技術者として勤務していた眞希夫さんと結婚して、二男一女をもうけました。その間、毎年のように大阪、滋賀、東京、神奈川などに転勤したそうです。眞希夫さんは48歳の時にパーキンソン病と診断されます。それから、31年に及ぶ眞希夫さんと滋子さんとのパーキンソン病との闘いが始まります。

パーキンソン病の原因やメカニズムは現在でも十分解明されていません。ましてや社会的にあまり知られていない時期のこと。滋子さんは夫の病気を治したいと、大学や病院の先生を訪ね、家庭での看護や介護を研究します。その中から、パーキンソン病の患者に限らず、障害をもつ人にとっては、“身近なところに憩いや交流、見守りやケアの場所が必要“なことを実感し、「“ねたきりにならない教室”桜ヶ丘共働学舎」(1980~1987年)を自宅の敷地内に設立します。ここでは、医療や福祉の専門家を招いての講演会、治療やリハビリなども行われたそうです。

滋子さんは、障害者の福祉をより専門的に研究したいと、仏教大学で学んだのちに、明星大学修士課程も修了します。研究の成果をひと言で表すと、「パーキンソン病などの進行性障害をもつ患者や家族にとって、医師との信頼、仲間との連帯・共働が不可欠」とのこと。この間の眞希夫さんの病との闘いの日々を『それでも希望がある パーキンソン病の夫とともに』『にもかかわらず希望がある パーキンソン病の夫とともに』の2冊の本に著しています。

滋子さん2冊目の著書(左端が滋子さん)

 

話を聞いているうちに、滋子さんがかつて“スーパー・ウルトラ ウーマン”だったんだ。友達や知り合いが「賛美歌をうたう会」に集まってくるのも、滋子さんのこのような過去があってのことなのだと、だんだん分かってきました。

最後に「賛美歌をうたう会」を始めて1年半ですが、どうですか?と尋ねてみました。「わたし、賛美歌をうたうとすっきりするの」「みなさんは、滋子が淋しいから遊んであげようと思って来てくださるのかしら?」「音楽をやってきた人は、初見でキーボードを弾きながら歌えるのにビックリしたわ」「わたし、賛美歌のいわれを調べて、パソコンで1枚にまとめるのが好きなの」「お昼になるとお腹がすくから、赤飯を炊いておもてなしするの」と、まるで少女のように好奇心いっぱいの答えが返ってきました。

「今度、格安バスに乗って東京の長男に会いに行くのよ」とダメ押しのセリフに、「大丈夫ですか?」と詰まりながら、いや滋子さんなら90歳でも大丈夫かも?と納得しました。

3人の子どもを育て、夫のパーキンソン病と31年間闘い、箕面市の地域福祉を開拓してきた田中滋子さん。その歩みを祝福するかのように、夫と過ごした思い出深い家から、今日も賛美歌のやさしいメロディーが流れます。


この記事を書いた人:

山本 茂
北摂を中心に地域計画・まちづくりの仕事を長く続けました。現在は、千里ニュータウンと周辺をもっと魅力的にしたいと、仲間といろいろな活動をしています。まちづくりの第一歩は、市民や企業が地域の魅力を再発見しながら、できることから。「北摂パブリック紀行」は、市民や企業がつくった”みんなが集まれる素敵な場所“を発掘し、人とともに紹介しようとスタートしました。趣味は山と料理。オレンジ色のハスラーに乗って全国の山へ出かけます。
http://news.archive.citylife-new.com/life/kaigo/52518.html