
(上記の写真左が加藤氏。奥様と)
戦後70年 変わったものと変わらないものがある。
多くの豊かさと自由・・不変なのは有事・戦争にて、情報に翻弄され、犠牲になる庶民たち。
そして国を越えての人の温かさ。
自費出版「嗚呼命」の著者、加藤茂氏は終戦時は8歳。中国からの引揚げ時の体験をつづる。

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かつてお住まいの中国のフンチュン、右側がソ連(現在ロシア) 左には韓国の国境が間近に。
三国の国境に挟まれ、激戦区に
【突然の空襲と避難】
1945年(昭和20年)8月10日 終戦5日前、突然の空襲と準備なしの避難命令。
命がけの避難途中で2歳の妹との永遠の別れ。外国兵による暴行。
みつからないよう口を封じ窒息死してしまい、わが子の亡骸を持っていこうとする母親。
【敗戦後の過酷な生活そして残留孤児】
敗戦後フンチュンに戻ったが、過酷な炭鉱の労働生活が待っていた。
病気と栄養失調で薬も与えられず多くの人々が亡くなり、
亡骸を埋めることもできず山積みにされていく状況。
両親が病死してしまい多くの孤児が生まれ、
中国人農家に貰われていく。後の残留孤児たちだ。
日本人孤児のためできるだけ裕福な中国人家族に養子の手続きに奔走する父親。
すごいのは8歳の身で腸チフスにかかった父母姉のため注射を打つシーンだ。
2歳の弟も残留孤児になりかけたいきさつも息が詰まる思いだ。
【国を超えての友情と愛】
親切な中国人の薬屋さんに天皇陛下から賜った懐中時計を渡した父。
中国の地に留まることを決意した日本人女性。
(彼女は避難途中亡くなった2人の子供の墓をつくってくれ、
瀕死の自分を救ってくれた再婚した中国人夫のため帰国を断念した)
ページをめくるごとに涙を流したが、一気に読めたのは、
子供の目線から悲惨な内容でも記憶のままに淡々と描いているから。
それだからこそ余計に戦争の悲惨さがわかる。
そしてなぜかしら微かな希望を持つようになる。
【今後に日本に対する加藤氏の思い】
「戦争をゲームで青春映画のように、
プロの兵士だけの争いと考える若者が増えてきていることに危険を感じます。
兵士が戦場に行くことはその家族とそこにいる住民も必ず巻き添えになるのです」

日本人小学校としてバレーボール大会に出場。 前列右から2番目が加藤氏
どの時代でも国を越えて子供同士は仲良しだ
戦争により人は容易に心変わりする、それを認識することが大切だ。
一番危惧されているのは、戦争の火花が今でもあちこちに見受けられること。
「戦争は一部の政治家の判断で起こる。もっと国同士で粘り強く話し合いをしてほしいです。
それを我々は見続けなければいけない。
それと日本が誇れるのは技術力。けれどほとんどの企業は利益優先で海外に工場をつくる
やがてそこの国では技術が向上し、利権の取り合いで、世界の紛争に巻き込まれる。
もっと企業家も目先の利益でなく大きな永い目でみてほしいです。
何もないところから作り上げる現場の技術力を高め、
共存共栄、真の経済発展・・それが平和につながるのではないでしょうか」
帰途につき偶然サイトで、私の大好きな韓国男性グループを目にした。
兵役直前のコンサートを終えた画面だった。
会場は異様な雰囲気で、メンバーが抱き合い泣くシーンも、国に事情があるが
割り切れない気持ちがよぎった。
本当の平和は私たちに託されているのかもしれない。ぜひ一読を

- 近畿健康センター加藤茂氏
- <キンキケンコウセンター カトウシゲル>
- 豊中市服部西町3-3-32
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