【北摂パブリック紀行 Vol.4】 団地の中のみんなの道


素敵なまちには、市民や企業が育てた素敵な場所がある。そんな北摂の“市民・企業発のパブリックな場”を訪ねてお茶の間に届けるまちづくりシリーズの第4回。
(シティライフ2016年2月号の掲載記事のノーカット版)

■藤白台の「ふれあいの道」
≪「ふれあいの道」を歩く≫

千里ニュータウンの北千里駅の改札を出て東に向かい、藤白橋を渡るとき、正面に見えるOPH北千里駅前の高層住宅の間に、大きな斜面状の樹林と歩道が見えます。この歩道は、この地域では「ふれあいの道」と呼ばれ、地域の人の買物や通学・通勤、そして大阪大学吹田キャンパスに通う学生・研究者などに親しまれています。この道に入っていく学生の後を追って、しばらく歩いてみましょう。(写真は2016年1月撮影)
※OPHは大阪府住宅供給公社(Osaka Prefectural Housing corporation)の略

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藤白橋から見える「ふれあいの道」と斜面の森

OPHの団地に入り、広場を抜けると、スロープのあと階段を上っていきます。左手には、2006年頃から始まった再生事業によって生まれた分譲集合住宅「プレミスト北千里クラッシィ」が建っています。

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森と分譲マンションの間の階段を上る

階段を上りきると緩やかな坂になります。右には、大きな斜面にクスなどが繁る森が続きます。木々の間から木漏れ日がさしますが、暑い夏には心地よい木陰をつくってくれるでしょう。

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森に沿って緩やかに登っていく

途中、ベンチのある小さな広場が出てきました。落葉樹の間から建て替えられた賃貸住宅が見えます。写真を撮っている間に、学生の姿を失いました。

DSCN1825ふれあいの道の横の小広場

しばらく進むと、「ふれあいのみち 迂回路」の表示とともに、両側を頑丈なフェンスで囲われた仮設の道が現れます。どうやら元の「ふれあいの道」は、分譲マンション(建設中)の敷地内を通過しているようです。

DSCN1828仮設のふれあいの道

仮設の道を抜けると藤白台小学校が現れました。「ふれあいの道」の入口を示す看板が横断歩道を渡ったところにありました。

DSCN1833藤白台小学校

≪「ふれあいの道」のこれまで≫
「ふれあいの道」は、当初から計画・整備された道に見えますが、約50年前に大阪府住宅供給公社の団地が建設されたとき、実は道も樹林もありませんでした。団地の上部と下部を分ける大きな斜面には、竹や雑木が生い茂り、秘密基地づくりなど子どもたちの冒険遊び場だったようです。その後北千里駅ができると、駅への近道として斜面上部に“ふみわけ道”ができました。住民は、歩きやすいように斜面の竹を伐採し、コンクリートの道を造り、鳥が来る森をつくろうと木を植えました。

永井俊雄66-ノリ面植樹197607団地住民による植樹(1976, 撮影:永井俊雄)

その後木は成長し、ふみわけ道は地区内外の人々に親しまれる道になり、2000年前後から「ふれあいの道」と呼ばれるようになりました。法律に基づく「道路」ではなく、あくまで「敷地内通路」ですが、団地の人々の寛容によって、「地域の子どもから大人までだけでなく、藤白台小学校や大阪大学の関係者なども気持ちよく通行できる道」になったのです。

2000年代に入り、団地の建替計画が持ち上がったとき、この道をどうするかが浮上しました。マンションができて通行者が増えることから、プライバシーや安全性が損なわれるのではという心配が生まれても当然です。よそ者が通れないように“通行禁止”にする選択肢もありましたが、住民は「ご近所の人とばったり会って話したりすることもある、地域に開かれた“みんなの道”」として継続することを選んだのです。

大阪府住宅供給公社の団地は、再生事業によって、斜面の上部は分譲マンションになりました。「ふれあいの道」の一部は、この分譲マンションの敷地内を通過しています。プライバシーや安全性を確保するために、マンションの敷地を塀で囲うのが当たり前とされる昨今、マンションの敷地内を一般の人が歩くことは、開発者側は避けたかったかもしれません。しかし、公社、市、自治会などの関係者の協議を経て、再生地の開発にあたっては「ふれあいの道」が引き続き確保されることが条件にされました。そして、事業コンペを経て、「ふれあいの道」が敷地内を通過するマンションが建設されているのです。

※「ふれあいの道」は、藤白台在住の奥居武さんのブログ「アラウンド・藤白台」(前編 後編)に詳しく紹介されている。

■佐竹台の「駅に続く斜めの道」
南千里駅に近いOPH千里佐竹台は、千里ニュータウンの公的賃貸住宅のなかで最初に建て替えられた住宅団地として知られています。建替計画をつくるために、住民、市、公社などの関係者が集まって、話し合い(※)が続けられました。
※団地だけでなく小学校区の住民の参加のもと、関係者が同じテーブルで話し合うことから「ラウンドテーブル」と呼ばれました。この方式は合意形成に効果があったことから、その後の他団地での再生事業にも継承され、「佐竹台方式」と呼ばれるようになりました。

「最初の建替え団地だから、その後のモデルになるいい団地にしよう!」・・そんな思いが多くの住民の中にありました。話し合いの結果、「みんなが憩える広場」と「周辺の人も利用できる駅に続く道」をつくることになりました。南千里駅に近い佐竹台団地は、周辺の住民が南千里駅やショッピングセンターに行くときの“近道”として、南向きに平行に配置された住棟の間を縫うように利用されていたようです。それを受け継ぐ形で、長方形の敷地の南東角から北西角へ、さらに短時間でまっすぐ通行できる動線をつくろうという提案です。
自治会長の谷川一二さんに話を伺うと、「よその人が広場や歩道でケガをしたときの責任問題をどうする?」などの反対意見が出されるなど、紆余曲折があった末に、周辺に開かれた広場と動線を整備する団地の再生が実施されました(2007年2月)。

この道を南から南千里駅へ向かって歩いてみましょう。南東の角に立つと、「南千里駅への近道です、どうぞ歩いてください」というかのように、住棟に挟まれた道と開放的な空が正面に見えます。(写真は2016年1月撮影)

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南東の角の「斜めの道」入口

しばらく進むと、右手に住民が育てている花壇が現れます。

DSCN6876歩行者道沿いにつくられた花壇(この写真のみ2011年5月撮影)

さらにしばらく進むと、芝を植えただけの「広場」が現れます。その中を南千里駅へ向かう人、帰ってくる人がすれ違います。

DSCN1843芝を植えただけの広場

道沿いに、「佐竹台サロン コーヒー100円」「大丈夫 笑顔で君を待ってるよ」・・賃貸住宅の一室を利用してほぼ毎日開かれているコミュニティカフェの案内です。

DSCN1847佐竹台サロンの案内

正面に竹見台地区の高層住宅を見ながら、道は右へカーブして南千里駅へと続きます。

DSCN1849南千里駅へ緩やかにカーブする道

「みんなが通れる道」をつくった効果はどうだったのだろう? 谷川さんに聞きました。「通勤や買い物に便利ですと、団地や周辺の住民に好評です」「四六時中人が通るので、防犯にも役立っています」「お母さんたちを中心に、団地と周辺の交流が進んでいます」との答えが返ってきた。同時に「ここは公道ではなく、団地の住民が管理する通路です。大切に使いましょうと呼びかけています」とも・・。

団地やマンションなどは“住む人のもの”です。しかし、外に向かって少し開いて“地域のもの”にすることにより、共に住むことの喜びはいっそう増すのではないでしょうか?二つの事例は、このことを教えているように思います。

≪お願い≫

北摂のパブリックな場を訪ねて取材します。あなたの近くにある「市民や企業が中心になって育てた、みんなが集まれる心地よい場所」がありましたら、ご紹介ください(「コメント」にご記入ください)。

 


この記事を書いた人:

山本 茂
北摂を中心に地域計画・まちづくりの仕事を長く続けました。現在は、千里ニュータウンと周辺をもっと魅力的にしたいと、仲間といろいろな活動をしています。まちづくりの第一歩は、市民や企業が地域の魅力を再発見しながら、できることから。「北摂パブリック紀行」は、市民や企業がつくった”みんなが集まれる素敵な場所“を発掘し、人とともに紹介しようとスタートしました。趣味は山と料理。オレンジ色のハスラーに乗って全国の山へ出かけます。
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