
市民がつくった“みんなが集まる素敵な場所”を訪ねる北摂パブリック紀行。今月は、手話を通じて、きこえる人ときこえない人をつなぎ、共に生きる社会をめざす「人の輪と心を育む“ひまわり教室”」です。
■ひまわり教室に出かける
きこえない人だけでなく、きこえる人も参加できる絵本の読み聞かせの集まりがあると聞いて、チャリに乗って出かけました。服部録地を抜け、南へ。江坂駅の西、古くからある蔵人(くろうど)の集落を核にできた閑静な住宅地の一角に「ひまわり教室」の看板がありました。
おちついた蔵人の集落

ひまわり教室
事前にアポを取っているとはいえ、どんな集会なのかと、少し不安な気持ちで中に入りました。木をふんだんに用いた明るい部屋。一人、二人と増え、参加者は約10人。ふーちゃんこと“手話うたパフォーマー”の藤岡扶美(ふじおか ふみ)さんの絵本の読みきかせが始まりました。
最初は、ホワイトボードに各自が事前に書いていた「名前」「小学生の時好きだった時間」「お気に入りのオノマトペ(どんどん、にこにこなどのくり返し言葉)」「どこから来たか」をもとに自己紹介。参加者が順に「声」を出して自己紹介します。きこえない人の「手話」によるコミュニケーションの集まりと思っていたので、少し面食らいました。約10人の参加者の大半が健聴者。藤岡扶美さんの手話教室で手話を学んだ人、コンサートなどを通じた藤岡さんのファンのようです。
藤岡さんが左手に絵本をもち、右手で手話をしながら、声での読みきかせや歌が進んでいきます。

手話を使った読みきかせと歌
ときどき、みんなで手話を使って歌をうたいます。手話は初めてでしたが、私も一生懸命ついていきました。「わたし」、「ひとつ」「ふたつ」、「だいじょうぶ」などの手話がだんだん分かってきます。

手話を入れて一緒にうたいます
この日取りあげられた絵本は、『にじ』『くんくんいいにおい』『ねえおきて!』『ねこのピート だいすきなよっつのぼたん』『ねこのピート はじめての がっこう』など。みなさんと一緒に絵本を楽しんだり、うたったり・・1時間半があっという間に過ぎました。

この日取りあげられた絵本
■ひまわり教室の多彩な活動
「ふーちゃんのてのひらえほん」のあと、代表の坂本久美(さかもと ひさみ)さんと西村則子(にしむら のりこ)さんに話を伺いました。「ひまわり教室」は、正確には「“人の輪と心を育む”ひまわり教室」。次のような活動を行っています。
・「ママパパひまわり」:聴覚障がい児をもつ親が、子どもの障がいを受け止め、明るく子育てをしていく見通しがもてるよう、つながり、学びあう集まり

ママひまわりの≪リトミック&手話うた≫
・「聴覚障がい児の父親の手話学習会」:仕事で忙しい父親のための手話学習と家族間の交流の集まり
・「聴覚障がい乳幼児の親子コミュニケーション学習会」:聴覚障がい乳幼児をもつ親が“きこえない”について学び、親子でコミュニケーションを育む集まり

絵本による親子コミュニケーション
・「聴覚障がい児の縦のつながり」:聴覚障がいをもつ子どもたちが、共通の悩みや想いを共感し合い、生き方を学び、将来に対する見通しや自信がもてるように、小学4年生以上、中学生、高校生、大学生、社会人などが縦につながって交流する集まり
・「難聴学級の卒業生たちの会」:難聴学級の卒業生たちが集まって近況を報告し合いながら交流したり、励まし合う集まり
・「一般校で働く聴覚障がい教員の学習会」:健聴者に囲まれた環境で仕事をする聴覚障がい教員のための学習指導やコミュニケーションに関する学習
・「出前授業・研修会」:聴覚障がいに関する理解や啓発、きこえる人・きこえない人が共に生きられる社会づくりのための学校や地域での講演。難聴学級のある学校の一般教員を対象にした、“きこえない”がどういうことなのか、学習指導法やコミュニケーションのための研修会 など
ひまわり教室は、主に“きこえない人”のサポートを行っていると思っていましたが、聴覚障がい児(者)をもつ親、学校教員(聴覚障がい教員、一般教員)、地域や社会など、幅広い人々を対象に多彩な活動を行っていることに気づかされました。代表の坂本さんが「聴覚障がい児者は、縦横のつながりを通じて、将来に対する見通しや自信がもてるようになる」「障がいはまわりとの関係で重くも軽くもなる」と言われることの意味がわかってきました。
■坂本さんと西村さん
話をうかがっているうちに、「ひまわり教室」の設立には、代表の坂本さんの生い立ちや西村さんとの出会いが大きく影響していることに気づかされ、根掘り葉掘り聴かせていただきました。
坂本久美さんは、千里ニュータウンにある吹田市立小学校で教員をしていた24歳のとき突発性難聴に襲われます。その後、30歳で両耳完全失聴。きこえなくなっても、それまでの経験によって、話すことはできましたが、約10年間は落ち込んだり、引きこもりがち。同僚の先生たちに「逃げてはいけない、坂本先生にしかできない役割がある」と言われ普通校に留まりました。
転勤した2校目は、子どもたちが騒がしくて授業に集中できない。授業初めの出席取りで、子どもたちの名前を手話で教えると、はじめて見る“身ぶり・手ぶり”の手話は子どもたちに大好評。教室が静まり返り、全員が口元と手話に集中して、自分の名前が手話で呼ばれるのを今か今かと、目を輝かせて待っていました。そして授業に集中できなかったクラスがまとまりました。この時、初めて手話の素晴らしさを実感、“きこえない自分でいいんだ”“きこえない自分の役割がある”と思えるようになったそうです。
その後、きこえなくても大丈夫、手話の出来る“きこえない”子どもたちに自信を持たせたいと「難聴学級」のある小学校に転勤。難聴児のセンター校は受け入れ体制があり、11年間きこえない教師として明るく輝いて働くことができたそうです。転勤時に手話ができたのは西村則子先生一人でしたが、手話はどんどん学校全体に広がり、校歌も会話も授業も会議も、きこえる人(子)ときこえない人(子)が手話で一緒にできる楽しい学校になっていったそうです。
「国際障がい者年」にあたる40歳のとき、NHKのドキュメンタリー番組「私は聞こえない教師」で1ケ月取材を受けました。最終日に校内音楽会があり、「みんなで歌おう」の時間に初めて手話をつけて全員の前で歌うと、子ども達が一緒に手話をつけてくれて、体育館いっぱいに手話が広がりました。きこえなくなってから初めてみんなと歌が歌えた感動は大きかったといいます。
その後、難聴学級が創設される小学校に転勤。初めてきこえない教師に出会った先生方は「見えない障がい」を理解することが難しく、再びきこえない大きな壁にぶつかり「障がいはまわりとの関係で重くも軽くもなる」と実感。しかし、3年間働く中で、学校全体に手話と共に理解が広がりました。両親の介護のために58歳で教員生活を終えました。
退職後は、教え子や一般校で働く聴覚障がいのある先生方が自信をもって働けるように、交流できる場が欲しいと考えるようになり、ご主人の了解を得た上で、敷地内に西村さんと「ひまわり教室」を建設。これまで8年間、西村さんと二人三脚で活動してきました。

坂本さん(左)と西村さん(右)
■「ひまわり教室」のこれから
「ひまわり教室」の取材を終えて思ったことは、“きこえない人”や“きこえない世界”のことをほとんど知らなかったこと。そして“きこえない”ことはハンディではあるが、聴覚障がいをもつ人々は、手話という“第二の言語”を用いて、私が思っていたよりもはるかに“ふつう”に生活していることでした。
「ひまわり教室」は、中途失聴という経験をもつ阪本さんのパワフルな生き方を“大黒柱”に、“相棒”の西村さん、“パフォーマー”の藤岡さんたちが加わることによってはじめて、学校とは違う地域や社会の中で、きこえる人・きこえない人が共に生きられる社会づくりに向けた活動が続けられているのだと分かりました。
坂本さんとメールでやりとりする中で示唆されたことがあります。「中途失聴を克服して前向きに・・」の私の文章に、「克服はしていません。きこえないことをプラスに受けとめ、きこえないことを生かして生きているのです。」と返ってきました。
また、「聞こえる」「聞こえない」を「きこえる」「きこえない」にしていただけませんか?と依頼があった。「聞く」も「聴く」もあるからなどの理由でしたが、しばらくしてから、「聞く」にも「聴く」にも「耳」がある。私たち聴覚障がい者は、「耳」では難しいけど、「手話」や「口元」、「表情」などでコミュニケーションしているのですよと言いたかったのでは?と気づきました。
ひまわり教室から“手話のある、きこえる人・きこえない人が共に生きられる新しい社会”が広がっていきます。
※誰でも参加できる「ふうちゃんのてのひらえほん@ひまわり教室」
毎月第3水曜日10:30~12:00、参加費:500円。
https://ameblo.jp/tenohirade/theme-10096578287.html