茨木市と大分県・竹田市の歴史文化姉妹都市締結!その2~歴史文化姉妹都市締結の背景~


前回は茨木市と歴史文化姉妹都市である大分県・竹田市についてご紹介しましたが、
今回は締結に至った経緯について、前回と同様、東實文男(とうじつふみお)氏の著書
「魅力溢れる歴史の”まち”『大分県竹田市』を知る!」を基にして書き進めたいと
思います。(今回の写真はすべて東實氏に提供していただきました)


締結式は2013年11月16日に茨木市で取り行われました。茨木・竹田両市長の調印式、
市旗と記念品の交換などを行い、両市の絆が結ばれました。

締結するにあたり、両市を結びつけるいくつかの歴史的背景があります。
「戦国時代の中川氏」、「キリシタンの里」、「文豪・川端康成」の3つの大きな
関わりが挙げられます。

まず、「戦国時代の中川氏」。戦国武将・中川清秀は現在の茨木市中河原の土豪でした。
白井河原合戦で荒木村重との連合軍で戦い、和田惟政を倒して茨木城を包囲。のちに
中川氏は茨木城の城主となりました。その息子・秀成は豊臣秀吉から新たな転封の拝命
を受け、前回も少しご紹介しました豊後竹田の岡城の初代藩主となり、明治維新により
廃城されるまでの280年間を統治することとなりました。父と子が共に城主であったのが
現在の茨木市と竹田市にあたるのです。

中川清秀氏墓所(茨木市・梅林寺)

中川清秀氏墓所(茨木市・梅林寺)



そして「キリシタンの里」。日本にキリスト教を伝えたとされるフランシスコ・
ザビエル。1549年以降布教活動が鹿児島から始まり、山口から瀬戸内海沿岸の沿岸に
立ち寄りながら京都まで布教活動を広げていったと言われています。そのあと、布教の
難しさを痛感して九州に再び戻り、日本を離れました。

その布教活動の際、キリスト教の教えに共感し、洗礼を受けた大名を「キリシタン大名」
と言い、中でも有名なキリシタン大名として挙げられるのが豊後国の大友宗麟と摂津国の
高山右近です。大友氏はキリスト教信仰のため寺社仏閣を破壊し、信仰を強めていきました。

竹田市には今でも聖水を汲む湧水の史跡が残されている

竹田市には今でも聖水を汲む湧水の史跡が残されている



トップの写真は竹田市のキリシタン洞窟礼拝堂跡と司祭が隠れ住んでいた場所。
茨木市・竹田市とも禁教令が敷かれながらもこっそりと信仰し続けていたのです。
現在の茨木市千提寺付近は「茨木の隠れキリシタンの里」として知られていますが、
隠れキリシタンの墓碑などが発見されました。歴史の教科書などにもよく掲載され、
誰もが見たことのある「聖フランシスコ・ザビエルの肖像画」は茨木市で見つかった
ということをご存じな方は少ないのではないでしょうか。

茨木市でもキリスト遺産が見つかっている

茨木市でもキリスト遺産見つかっている



最後に「文豪・川端康成」。川端康成は4歳~16歳まで茨木の祖父母の下で育ちました。
川端氏は1952年に竹田市を訪れ、その時の様子を「波千鳥」という作品で書き記して
います。そして訪れた際、竹田市の竹田高校で講演を行ったということから、その
歴史をふまえて2009年から毎年「川端康成記念講演会」を開いているそう。意外な
ところで茨木市と竹田市がつながっていたのに驚きました。


前回、今回と使用させていただいた、東實氏が撮影されました竹田市の写真のパネル展
がりそな銀行茨木支店にて行われます。詳細は下記のイベント情報をご覧下さい。
 

開催日時 2014年 06月02日(月) ~ 2014年 06月30日(月)
平日 9:00~17:00
参加費・入場料 無料
会場 りそな銀行 茨木支店内ギャラリー ≫会場Webサイト
アクセス 阪急「茨木市」駅より徒歩3分
お問合せ

この記事を書いた人:

soleil
豊中生まれ豊中育ち、現在は箕面在住。最近カメラを買い替えて、再び写真ブームが到来!そのカメラで撮影した、北摂の美しい風景やスポットなどを「CityLifeNEWS」でご紹介できればと思います。
http://news.archive.citylife-new.com/play/event/7225.html